日本で語られるフォルケホイスコーレについて思うこと
ここ最近、私が以前留学していたフォルケホイスコーレに関する記事を
日本でも多く目にするようになった。
以前はなにそれ?の説明から始めなければならなかったものが
こうして人々が関心を寄せるようになり
自分が大切に思っているものを共有出来ることは喜ばしい。
一方で、心の中でどこか違和感を覚えていることも確か。
なぜ違和感を覚えるのか、ずっと言葉にならなかった。
私が留学に行ったのは2009年。
帰国してもう7年が経つ。
帰国直後はデンマークが恋しすぎて思い出すのも辛かった。
心が戻りきらないうちに東日本大震災で被災し
再び心が留守になった。
それでもずっと自分の中にあったのは、
デンマーク、さらに言えば北欧と日本をつなぎたいという想い。
それは日本とデンマークでお世話になった人々へ
自分なりの恩返しの気持ちだった。
帰国して初めのうちは、
日本においてフォルケホイスコーレのような学校をつくりたいと思った。
留学生として過ごす中で、かけがえのないものをここで学んだからだ。
でも、だんだんとその想いに対してムクムクと疑問が浮かんできた。
その成立は今から170年ほど前に遡り、
様々な変遷があり、今私が経験したホイスコーレがある。
デンマークという国の歴史、文化、伝統、風土、そして人々。
そうしたすべてのものがこの学校を作りあげている。
私がみたものは、そのうちのほんの些細な一部分でしかない。
日本で発行されている本も買い漁ってみたが、
読めどもフォルケホイスコーレという学校は不思議で複雑で
何が答えなのかいまだに結論が出ない。
それがこの学校らしさとも言えそうだが。
自由な学校だからこそ、
そこで学ぶ人によって学校自体の捉え方が異なるというのもあるだろう。
とにかく「こんな学校なんです」ということが言えない。
そもそも「学校」と言い切っていいのかも分からない。
デンマークにあるこの学校を日本でつくったら、
果たしてそれはフォルケホイスコーレなのだろうか?
そして、どんな学校なのかの定義が自分の中で曖昧なのに
『フォルケホイスコーレ』と言っていいのだろうか?
そんなことを考えていたら、当初の想いに自信が持てなくなった。
デンマーク人の友人にこの話をしたら、
「日本人もそう考えられるようになったんだね」
と、含みのある言葉が返ってきた。
また、フォルケホイスコーレが語られるときに
「個人の人生のために」という部分に力点が置かれがちであることも
少し引っかかっている。
時代の変遷と共にその姿を変えてきたということに触れるなら、
個々人が個々人のために利用し始めたのは
むしろここ最近のことなのではないかと感じる。
それよりも、社会に向けた行動を起こそうとした人たちが
そのための力をつける場所、その課題解決の糸口とした場所というように
より広い社会に眼差しを向けたものだったように思える。
でも、こうした解釈ももちろん正解、不正解などというものはなく、
一留学生としての葛藤である以外の何物でもない。
ただ、フォルケホイスコーレの留学経験を、私を含む皆が
個人的なものとして完結させてしまっているケースがほとんどなのではないかと思う。
そのことに関しての善悪はないが、
だから日本で語られるこの学校が
「個人のため」に終始してしまっているのかなとも感じる。
そんな私は最近、
「フォルケホイスコーレを通じて学んだことを日本で実践する」
という解釈に変えた。
もしかしたら結果は同じことなのかもしれないけれど、
日本でフォルケホイスコーレのような学校を作りたい、よりも自分の中では嘘がない。
これから日本は、
自分という発想から社会という発想に変わる時なんじゃないかと思う。
だから、フォルケホイスコーレという学校自体も
その主語が「私のため」という個人的な発想から
(個人的な成長や、個人の仕事のためだけに語られるのではなく)
より良い共存社会に向けた「社会のため」という発想で語られると素敵だなと思う。
そんな独り言。
写真は滞在したフォルケホイスコーレでの一コマ
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